信用できない、のではなくて、思いやり
車を借りると、気をつけろ気をつけろといつも言われる。
私は、『うるせえな、そんなに信用できねえのかよ』という気持ちになる。
でもこれは思いやりの気持ちなのだと思う。
最近は、爺さん、婆さんの運転する車に乗ると内心ひやひやすることが多い。
そんなある日、爺・婆が2人で車で佐原市の祭りに行ってくると言い出したので、
『川沿いは、スピード出す人も多いし、町中は夏祭りで渋滞するし、人多いから注意ね!
あと帰りは夜だろうから、暗いしなおさら気を付けてよ!!』
と、自分が言われているようなセリフが出てびっくりした。
むしろ俺のほうが細けぇ。
自分が言われたらうんざりする内容だね(笑)
でもこう言われると、意識の刷り込みのような効果があるのか、
確かに言われた側は安全運転になるよね。
そういう意味で、相手にどう思われようがお互いに声をかけ合うのは大切だと思う。
言う側としても、普段から自分が気をつけてなくちゃこういうセリフは出てこないし、
相手を気にかけてなきゃこういうこと言わない。
もし、爺・婆から車を借りる時に何も言われなくなってしまったら。
私の運転が信用されるようになったのかもしれないが、
逆に『爺・婆の注意力/安全運転意識が低下している』
と取ることもできるかもしれない。
だからむしろうるさく注意してくれると『まだボケてないな』と安心できたり。
まぁ判断力や瞬発力は低下してるだろうから、
安全運転を意識してても危ないっちゃ危ないけど。
そういう風に考えられるようにやっとなれたのでした。