俺のメモランダム

文系大学―(卒業)→専門商社営業ー(退職)→建築系専門学生ー(卒業)→設計事務所勤務という人生を辿っているアラサーのブログ。流し読みで読める軽さを持ちながらも、考え方、情報、良かったモノやコトをうまく発信して見ている人の日常をちょっとだけ豊かにできるのを目指して書いてます。

『意見が変わること』を『矛盾』とみなし、許せない人達

有名人のSNSには、

 

『前までは好きだったのに、どうして変わってしまったんですか?』


『そんなこと言うなんて失望しました』

 

みたいなコメントを見かける。

 

こういう人は普段の生活でも、言っていることに矛盾がないこと、
一貫していることが美徳だという意識が強すぎるんだと思う。

 


実は自分も以前まで、わりと他人の言動に矛盾があると
気になってしまうタイプだった。
でも最近はまったく気にならなくなった。

 


理由はブログをある程度継続したことだと思う。
ブログって名前の通り、書いた内容が全部ログとして残るわけで、
最初はやっぱり気にしてたんだよね。
あ、これ前に書いてることと矛盾してるから書き方変えよう、みたいな。

 


でもエントリ数が多くなってくるにつれて、
今までに書いたすべてのエントリと矛盾しないように書くのは不可能だと気付いた。
あと、書いた内容を全部覚えておくのも困難になってくる。

これ、ブログ書いてみればわかるけど、超記憶力を持つ人以外はごく自然にそうなります。

 


で、矛盾してるなーって読んでる人に思われてると想像してしまうと
何も書けなくなっちゃうんだよね。

そんな時期があったんだけど、結局、そんな理由で発信をやめたくなかったし、

『一貫性を持ったブログに見えるように』
言葉を操作するほうがむしろ不誠実だなって思い至った。

 


てか、人と話したり、本を読んで意見が変わるのって極めて自然だし、
想像で話してたものごとを実際にやってみたら
やる前と意見が変わることも普通。

 


つまり意見が変わることは『矛盾』なのではなく、様々な経験をした上で生じた『進歩』なのだ
という意識になってきて、
他人の言動に矛盾を感じても、『進歩』なのかも?と思うことで少しは寛容になれた気がする。

 

 

最初の話に戻ると、
有名人は、様々なメディアに出て発言し、SNSでも発信していく中で、
その内容のすべてに矛盾がないようにすることは不可能なわけです。

 


文句をつける人ってのはそこを分かってないわけで、
つまり自分で何かを発信した経験がない、もしくは少ないんだと思う。

 


まぁ、内心で思っているだけならまだしも、相手の気持ちを考えずに軽々しく
投稿してしまう感覚もすごいと思うです。